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万華鏡は、1816年にスコットランドの物理学者デヴィッド ブリュースター博士により発明されました。
博士は、光学研究を専門としており、灯台の光を研究する過程で万華鏡を考案して特許を申請しました。書類の不備により認可されたのは、1817年になります。この間に、目敏い商人によりたくさんの万華鏡が制作され世界中に広がりました。光学製品が貴重であった当時、万華鏡はヨーロッパの富裕階級で珍重されていました。船旅が世界交流の中心であった時代、万華鏡は長旅のお供として使われることもありましたが、この光学的発明は当時の人々に、新しい時代のデザインへの関心を高めるツールとしても宣伝され、また実際に19世紀後半から今世紀初頭にかけフランスでは、宝石や衣服のデザイン制作の現場で使われるなど、玩具以外に美術との関連も顕著になっていました。
日本には、発明の3年後に伝えられた記録があります。当初、錦めがね、更紗眼鏡(さらさめがね)、百色眼鏡(ひゃくいろめがね)、錦繍靉靆鏡(きんしゅうあいたいきょう)などと言われ、万華鏡という言葉になったのは近年になります。ヨーロッパと同様に、日本でも大名や豪商などの貴重な玩具として扱われていました。万華鏡は廉価なオモチャとなることで世界中にひろまりましたが、その存在は次第に人々から忘れられたものとなりました。 この万華鏡が再び脚光を浴びたのは、1972年のスミソニアン発行の雑誌にアメリカの万華鏡作家7人が初めて作家として紹介されたことから始まります。その後1980年代にコージーベーカーさんによる本格的な万華鏡啓蒙活動によってさらに多くの作家の誕生となり、アメリカにカレイドスコープルネッサンスが起こりました。 オモチャではない、独創的な発想と感性を主体とする万華鏡の誕生は、新しいアートフォームとして人々に受け入れられました。このルネッサンスの波は、1990年中頃より日本にも波及してきました。公立美術館、科学博物館での万華鏡展をはじめ、日本各地で万華鏡の紹介が積極的に行われ、現在日本はアメリカに次ぐ万華鏡作家、愛好者の多い国となりました。
今後、日本は万華鏡文化の中枢として重要な拠点となることでしょう。新しい作家の誕生は、万華鏡史の新たなページのはじまりでもあります。
国際万華鏡協会会長 緒方和子
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